信仰は試される ex fide fortis 2003 4 23

信仰深き人たちよ。
アメリカにも、ヨーロッパにも、ロシアにも、中東にも、
信仰深き人たちは多い。
それは、世界で誰でも認めることであり、
それは、世界のなかでも信仰の深さを自負しているであろう。
しかし、信仰に迷いがでる環境がやってくる。
我々は信仰こそ、何よりも大切に思って生きてきたのに、
信仰の薄い国々の方が、経済や科学技術が発展していくように見える。
しかし、なぜと問う前に、信仰は試されるということを忘れてはならない。
信仰はどういう形で試されるか。
ひとつは、神はあなたを不幸や絶望の中におく。
この時、あなたの信仰が不動のものかが試される。
しかし、絶望の中にあって、不幸の中にあって、
信仰を捨てる人は少ない。
むしろ、信仰は深まるであろう。
絶望の底には、不幸の底には、光がある。
絶望の底を割れば、光がでてくるとは、このことである。
絶望が信仰を強くしてくれる。
絶望の時、人は神近くにある。

しかし、さらにまた、きびしい試しがくる。
それは、神はあなたを得意絶頂の中におく。
これが最もきびしい試しとなるであろう。
得意絶頂の時、あなたはどうする。
贅沢の限りを尽くすのか。
享楽の中を生きるのか。
失敗者を見下すのか。
この時、人は最も神から遠いところにいる。
なぜなら、人は得意絶頂の中で信仰を忘れる。
いや、信仰を捨ててしまう人すらいる。
しかし、得意絶頂のあなたを悲しみの目で見ている者がいる。
得意絶頂の時、貧しき人を助けなさいと教わらなかったのか。
全財産を投げ出せと言っているのではない。
あなたの財産の10分の1を貧しき人に捧げなさいと言っている。
与えよ、与えられる。
繁栄は、永遠に続かない。
いつか、失意の時が来る。
その時、貧しき人があなたを救う。
貧しき人とは誰なのか。
その時、わかる。

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。
人は、不動の信仰によって、選ばれる。

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